ブラタモリのように東京のいろいろな地域を散歩しながら、歴史、芸術、文化などを楽しむ若者向けのイベントです。
20代、30代が中心です。
学生さんも歓迎です。
🔶今回のテーマ
「原三溪と三溪園」です。
新春を飾るイベントとして、正月三箇日、原三溪旧宅の鶴翔閣内部が特別公開されています!
※建物の見学は無料(入園料別途)
三溪園
生糸貿易により財を成した実業家 原三溪によって、1906年5月1日に公開されました。175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置されています。
東京湾を望む横浜の東南部・本牧に広がる広大な土地は、三溪の手により1902年頃から造成が始められ、1914年に外苑、1922年に内苑が完成するに至りました。三溪が存命中は、新進芸術家の育成と支援の場ともなり、前田青邨の「神輿振」、横山大観の「柳蔭」、下村観山の「弱法師」など近代日本画を代表する多くの作品が園内で生まれました。その後、戦災により大きな被害をうけ、1953年、原家から横浜市に譲渡・寄贈されるのを機に、財団法人三溪園保勝会が設立され、復旧工事を実施し現在に至ります。
原三溪(1868-1939)
岐阜県厚見郡佐波村で代々に渡り、庄屋をつとめた青木家の長男として生まれました。幼少の頃から絵、漢学、詩文を学び、1885年東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学、政治・法律を学びました。1888年頃に跡見学校の助教師になり、1891年に、教え子であった原善三郎の孫娘、屋寿と結婚し、原家に入籍。原家の家業を継ぐと、個人商社を合名会社へと改組、生糸輸出を始めるなどの経営の近代化と国際化に力を入れ、実業家として成功を収めました。実業家以外にも様々な面を持ちあわせた三溪は、住まいを本牧・三之谷へ移すと古建築の移築を開始し、1906年三溪園を無料開園するほか、美術品の蒐集や芸術家の支援・育成を行いました。1923年の関東大震災後は、横浜市復興会長に就任し、それまでの作家支援を止め荒廃した横浜の復興に力を注ぎました。三溪自身も書画をたしなみ、その作品の一部は、園内の三溪記念館に収蔵されています。
🔶流れ
15:00 集合@三溪園
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三渓園の見学
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17:00 解散@三溪園
🔶下記了承の上ご参加ください
※施設等の正確な情報は公式HPで確認してください。つなげーとでリンクを載せると消されるという仕様になっているため各自検索をお願いします。
※イベント内容に適した服装、持ち物でお願いします。
※イベント後のカフェや食事会はこちらでは企画しません。
※早退OKです。
※遅刻の場合はがんばって合流してください。イベント開始後はすぐに連絡が取れません。
※天候や施設側の事情で開催困難な場合は近くのカフェなどで交流に変更する場合があります。
※適宜イベントの様子を撮影いたします。
※イベント中の連絡先交換は禁止とします。
過去のイベントの様子は下の画像をご覧ください🙂