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天気は曇り、猛暑は避けれるかなあと思いつつ、川崎市生田にある戦前の秘密研究所であった登戸研究所跡に行ってきました。
参加者は11名。
登戸研究所跡地は現在、明治大学生田キャンパスとなっておりますが、博物館やいくつかの遺構が残っていますので、予約して行きます。
しかし、博物館に行く前に、戦後の未解決事件「帝銀事件」と登戸研究所の関連性を説明するため、駅近くのジョナサンにて勉強会を行いました。
↓生田駅近くのジョナサンです。
勉強会では、以下のことを話しました。
・戦後2年後の帝銀事件と登戸研究所の関係性
・帝銀事件について
・共通点の毒薬
・登戸研究所の概要、どんな研究所だったのか?
→終了後、明治大学生田キャンパスに移動。
生田キャンパスは広く、一番奥に登戸研究所の資料館↓があります。
↑2010年に開館した資料館です。かつて毒薬は暗殺兵器、スパイ道具などを研究していた建物はそのまま残っています
ただ、内装は改装して資料館となっています。
↓展示内部はこんな感じです。
↓まずは映像を皆で観ます。
↑今回は②③を視聴しました
↓登戸研究所の再現ジオラマです。ここからガイドの方に説明していただきます
↑風船爆弾、実際の1/10サイズを見ながら、説明いただきます
↓風船爆弾で使う和紙。
その工夫はアメリカも驚くものだったそうです
↑実際の風船爆弾の大きさは白黒写真でわかります
↓偽札作りの第三展示室
↑731部隊の話も出た展示。 中国現地の水を浄化する機械です
ガイドを1時間程度してもらい、自分たちで展示をみていきます。
参加者の皆さんは900ページもある、記録書に興味津々だった様子ですや
↑登戸研究所のことが分かったキッカケ、雑書綴です。900ページあるそうで、その内容の大きさに皆さん興奮していました🤔
結局、資料館に2時間程度使い、外に出ます。
↓資料館近くの弾薬庫です
↑当時の弾薬庫に特別に入れたので、皆さん興奮しながら入ります😙
ただ、このあたりは蚊がすごいです😑
↑かつて、偽札工場があった場所です
木造づくりなので、壊してきまったそうですね
↑登戸研究所時代からある、消火栓。
帝国陸軍のマークがついています🤔
↑冒険家として有名な植村直己は明治大学農学部に、1960年入学し、山岳部に入部したそうです。その記念のモニュメントらしいです
かつてここに、植村直己が歩いていたんですかね
↑かつて登戸研究所の象徴だった、ヒマラヤスギの跡地には、昨年センターフォレストという建物が建っていて、その中には↑のようなコーナーが設けられています
↑ヒマラヤスギで作った?机で休憩します
↑動物慰霊碑にきました。
この裏に登戸研究所と記載があり、その存在を、知ったキッカケの1つになったと思われます
↑キャンパス内にひっそりとある、神社。
弥心神社のちに生田神社と呼ばれています。
登戸研究所時代、ここは職員のふれあいの場所だったそうです。
↑境内には、このような石碑があります
これは登戸研究所の元職員の決意を示した句が記してあります。
終了後、参加者の皆さんに感想を聞きました。
【参加者の皆様からの感想】
・楽しかった、いろんな知れないもの、みたことがない情報を見れました
・今回も盛りだくさんでした、研究所の説明もあったし、わかりやすかった
・一人ではなかなか来なかったし、登戸研究所は前から気にはなっていたが、今回、よいキッカケで行けた。
・登戸研究所前のファミレスにて説明があってよかった。
・楽しかった、印象的なのは第二科に興味を持ちました
・楽しかった、ここには一人では来れなかったし、いい機会をもらえた。
・噂に聞いていた風船爆弾、そして登戸研究所、勉強になった。研究所の元職員の人生のが言えないものがあったという証言があり、切なくなった。
・一人では来れなかったし、事前の説明もあってし、登戸研究所を深く知れた。平和については興味あるので、今と昔はつながったと思った
・行きたかった場所でしたし、楽しかった。
・風船爆弾イメージは思っていたものとは違って、すごいものだと思ったし、よく考えるなあと思った。
・登戸研究所と未解決事件で資料館に興味がわいた。予想したより面白かった。
資料館は研究所としては小さいところだし、ここで少人数で研究すると考えたら、職員には大きな責任感があっだだろうと想像した。
【総評】
主催者がここに来たのは3年前ですが、今回ガイドの方が違っていて、比較したり、新たな情報を聞くことができました。
感想でもありましたが、研究所の秘密厳守は絶対で、そこで働いた人生を誰にも話せないというのは人間にとって非常にストレスがあり、見えない圧迫があったのだと改めて想像しました。
改めて、戦争はもちろん戦争中の犠牲者が多く出ることは悲惨です。
ですが、戦争が終わってもいろんな意味で多くの人が長い心の傷を持っていると思いました。
戦争経験者が共通して言われるのは秘密を話すのではなく、未来の人達のために知ってもらいたいからという目的で当時のことを話します。
過去にさかのぼって自分を救うのはできませんが、若い人たちに伝えることは昔の自分を救うような思いなのでしょうか。
今後も戦争のことは多くのことを知って、考えたいと思います。
次回の2回目はもっと暑いんだろうなあと思いながら、終了しました。