秋の海の風情(藻塩の煙、海上の月、松風) 「松風」「玄象」「経正」「融」

藻塩
海藻から採る塩。海藻に海水をかけて干し乾いたところで焼いて水に溶かし、さらに煮詰めて塩を精製する。
「焼く」や「藻塩」は「こがれ」と縁語。
「藻塩を垂れる」は「涙を流す」、「干す」は涙を乾かすことを想起。
「藻塩の煙」は海風にたなびく、不安定さや侘しさを想起

塩汲みの海士(あま)

藻塩を売って生活する貧しく侘しい里人
夜中に塩汲みをしながら海上に映える清らかな月を愛でて、侘しさを慰めている場面が多く出てくる
塩焼く海人の住む、天離る鄙(あまさかるひな)
都から遠く離れた田舎の地
明石
瀬戸内海は潮の満ち引きで東西への流れが変わり、これを利用することで大阪と九州の船旅のスピードが上がった。難波から西へ行く船は、夜中に明石海峡で海流が西流する満潮を待ったため旅人に意識された。
「夜を明かす」「月明かし」の明石が掛詞で、月の名所にもなった。
松帆浦(まつほのうら)
淡路島北端にある明石海峡に面した海岸。
松は「待つ」と掛詞
須磨
在原行平、光源氏(源氏物語)の蟄居先 
藻塩焼きが盛んで、海人の焼く塩の煙がたえず立つ浦として描かれる
千賀の塩竃
宮城県鹽竈神社は藻塩焼を神事とする
源融が塩竈を模した庭園を造って以来、藻塩焼のメッカとなる

松風と村雨

松の葉が風に靡くパラパラという音が
村雨が軒に響く音に似ているという
海上(かいしょう)の月
月光が水面に映える、秋の風情を代表する景色

「天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば
 明石の門より 大和島見ゆ」(柿本人麻呂)
「来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
 焼くや 藻塩の 身もこがれつつ」(藤原定家)
「藻塩くむ 袖の月かげ おのづから
 よそに明かさぬ 須磨の浦人 」(藤原定家)
「わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に
 藻塩垂れつつ 侘ぶと答へよ」(在原行平)
「恋をのみ 須磨の浦人 風吹けば
 なびく煙に 塩垂れて侘ぶ」
「須磨のあまの 塩焼く煙 風をいたみ
 思はぬ方に たなびきにけり」(伊勢物語」

「松風」
在原行平の「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答えよ」と、「立ち別れ因幡の山の峰に生ふる松とし聞かばいま帰りこん」の二首と、「撰集抄」に載る行平と海人の交渉などをもとに、流謫の貴公子と海人の乙女たちとの恋を描いた。行平がモデルとなった「源氏物語」の光源氏須磨配流譚のの描写も取り上げられている。

能「
仲秋の名月の日、東国の僧が六条河原まで来ると、汐汲み老人が現れ、此処はかつて源融(みなもとのとおる)の住院で、陸奥千賀の塩竃の景色を再現し毎日難波から潮を汲ませて庭で塩を焼いて楽んだが、後を継ぐ人もなく荒れ果てたと嘆き、僧と一緒に賈島の詩も想いながら、松風が吹き月照らすうらさびしい塩釜を見て、昔恋しと嘆いた後、消え失せる。
僧が眠ると、在りし日の姿の融の亡霊が現れ、月光に照らされながら華麗な遊楽に乗って舞い、夜明けとともに月の都へ戻っていった。

「宇治拾遺物語」
源融は死後も河原院への執着が断ちがたく、幽霊となって現れ、後の所有者である宇多上皇の御息所を悩ませた。

賈島「題李凝幽居」 相原健右・訳   
閑居少鄰竝 静かでわびしい住まいに隣り合う家はなく
草径入荒園 草の小道は荒れ放題の庭へと続く
鳥宿池中樹 鳥は池辺の木にとまっている
僧敲月下門 僧侶は月明かりの下、門をたたく
過橋分野色 橋を過ぎても野原の気配を続かせ
移石動雲根 雲のわく石を山中から移し据えている
暫去還来此 しばらく離れていたが、私はまたここにや       ってきた
幽期不負言 あなたとの約束、決して言に違うことはない

「水の面に 照る月なみを 数ふれば
 今宵ぞ秋の 最中なり」ける (拾遺 源順)
「君まさで 煙絶えにし 塩釜の
 うらさびしくも 見え渡るかな」(紀貫之)

能「玄象
琵琶の名手藤原師長は、唐に渡り奥儀を極めるべく都を出た途上で、須磨の塩汲みの老夫婦の塩屋に宿る。
夫婦の求めに応じて師長が琵琶を弾いていると村雨が降ったので、老夫婦は苫で屋根を葺き、板屋根を打つ雨音の音程を琵琶の音程人数合わせる。更に夫婦は秘曲「越天楽」を奏で、その神技に感じ入った師長は渡唐を思い留まり、老夫婦の名を尋ねると、老夫婦は琵琶の名器「玄象」を持つ村上天皇と梨壷女御夫婦と名乗って精霊の姿となり、龍神を呼んで三面の琵琶の名器の一つ「獅子丸」を龍宮から取り寄せ師長に授ける。
藤原師長は神泉苑で琵琶で雨乞いの秘曲を奏した「雨の大臣」の異名を持つ。龍神が琵琶の音に感応して流す涙が雨とも言われた。

「今昔物語」の玄象
村上天皇の御代、「玄象」が突然消え、「世の伝わり物」「いみじき公財」を失ったと嘆く。ある晩、その音色を耳にした琵琶の達人の源博雅が音色を頼りに夜の平安京を探し歩き、羅城門に至る。すると玄象が縄につけて門の上から降ろされたので、それは羅生門の鬼が盗んで弾いていたのだろうと言われた。
玄象は下手に弾いたり、塵を脱ぐわないと腹を立てて鳴らず、生き物の様に機嫌の良し悪しあったと語られる。

須磨の村上帝社に獅子丸を埋めたという琵琶塚がある。

「平家物部」
仁明天皇の時代、藤原貞敏が渡唐した際、琵琶の名人の廉承武(れんしようぶ)から秘曲と共に三面の琵琶の名器「玄象」「獅子丸」「青山」を授かるが、帰国の際に龍神が惜しんで「獅子丸」を海底に沈めた。
その後村上天皇が新月を愛で「玄象」で「万秋楽」を弾いていると、不思議な者が現れ廉承武と名乗り、秘曲は三曲だが一曲を残した罪で魔道に落ちたので、その秘曲を授けて成仏したいと言い、「青山」で秘曲を奏じた。その曲を「上玄(しやうげん)」「石上(せきしやう)」という。

能「経正
源平合戦で戦死した平経正の法要のため、仁和寺で、経正が愛用した琵琶の名器「青山」を置いて、行慶らが祈っていると、経正の霊が現れ「青山」を弾き、ひとときの夜遊に心慰めるが、やがて修羅の苦患に苛まれ灯火の中に飛び込み吹き消される。
平経正は幼少時より詩歌管絃に長じ、皇室所縁の仁和寺の覚性法親王の寵愛を受け、琵琶の名器「青山」を預けられた。平家都落ちの際、経正は仁和寺を訪れ「青山」を返して形見の和歌を贈り、行慶も桂川の辺りまで経正を見送り和歌を交わして別れを惜しんだ。

「呉竹(くれたけ)の 筧(かけひ)の水は 変はれども
なほ住み飽かぬ 宮の中(うち)かな」(経正)
「あはれなり 老木若木も 山桜 
 おくれ先だち 花はのこらじ」(行慶)