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今年もあっという間に師走。。師走といえば、歴史が好きな方はクリスマスよりも、「討ち入り」をイメージするのではないでしょうか。
赤穂浪士が主君の仇・吉良上野介の邸宅に討ち入りをかけたのが、元禄15年(1702)12月14日(正確には日付が変わった15日早朝)です。
→ 討ち入りの現場=吉良上野介の屋敷があった場所=現在の東京都墨田区。両国国技館の近くです。(泉岳寺ツアーではこちらは行きません。)
見事本願を果たし、主君の仇=吉良上野介の首を取った、大石内蔵助をリーダーとする赤穂浪士一同は、主君=浅野内匠頭の墓がある泉岳寺に向かいます。
→現在の日本テレビのある場所には、かつて、仙台藩伊達家の屋敷が置かれていました。両国から泉岳寺に向かう途中、赤穂浪士は、こちらの仙台藩の屋敷の前を通り、粥を馳走されたそうです。(泉岳寺ツアーではこちらも行きません。)
歩くこと約3時間半。浪士一同は泉岳寺に到着し、主君に討ち入り成功の報告と、墓前に吉良の首を供えたそうです。
→泉岳寺の山門。江戸時代後期に建てられ、戦災も免れた由緒ある建物です。
→こちらの山門前でのツアーの集合写真を撮りました。
その後、我々一行も、浅野内匠頭と、赤穂浪士が眠るお墓にいき、お一人ずつお線香をあげてきました。
僕は、しばし、幕府や吉良上野介が悪者のように扱われますが、この赤穂事件には絶対的な悪はいないと思います。
浅野内匠頭の正しさ。吉良上野介の正しさ。時の将軍、徳川綱吉の正しさ。大石内蔵助をはじめとする赤穂浪士の正しさ。
それぞれの、曲げる事ができない「正義」が、ぶつかった結果、起こった悲劇の事件。そこに、我々、日本人が320年間も忘れる事なく、この事件を語り続けてきた要因があると思います。
その後、泉岳寺を後にし、細い路地を抜けて、白金高輪駅方面に。
→ ここは都内?と思わせるほど、趣のある路地裏の坂道を登ります。
泉岳寺から歩くこと約10分。このツアーの最終目的地=旧熊本藩・細川家屋敷跡に到着です。
実は、この場所は、赤穂浪士のうち大石内蔵助を含む17名が切腹をした場所です。現在も、切腹をおこなった場所は保存されているのですが、普段は非公開。12月の赤穂義士祭の前後に一般に公開されます。
→ 石とかは当時はなかったと言われていますが、まさにこの場所で赤穂義士が切腹されました。熊本藩細川家は、この地を神聖な場所とし、切腹後も丁重に保管・管理してきたそうです。
今回のツアーでは、泉岳寺の他にも、「高輪ゲートウェイ」の名称の謎にも迫りました。今年のツアーは、今回の泉岳寺ツアーで最後ですが、また来年も「大人の遠足」を開催していくので、引き続き宜しくお願いします。
みなさま、良いお年を!