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能では衆生に慈悲を施す観音力で奇跡が起こる話が出てきます。仏教の知識は不十分かもしれませんが、まとめに挑んでみます。
1.観音力
如来
悟りを開き、真理に達した者。
釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、薬師如来。
大慈大悲
広大無辺な仏の慈悲
菩薩
菩提薩埵の略。如来になる修行者。
弥勒菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、薬師菩薩。
弥勒菩薩
兜率天の内院に住み、釈迦入滅から56億7000万年後の未来に仏となってこの世に降りて、龍華樹の下で三会の説法をして衆生を救済するという菩薩。
観音
観世音菩薩(観音教)、観自在菩薩(般若心経)
如来になる修業として、特に慈悲行、即ち衆生済度の功徳によって如来の位に到達すると願いをかけ、それが実現しなければ悟り得ない(不取正覚)との誓願を立てる。
三十三身の姿をもち、衆生の悩みに合わた姿で済度(救済)する。
観音教
法華経(妙法蓮華経)の中の一章、「観世音菩薩普門品第二十五」
施無畏の印
右手の掌を衆生に向ける、救済の意の印
観音力
観音を信じれば(念彼ねんび観音力)、七難の諸苦を滅しうる。
・火坑に落とされても、火坑は池に変わる(火坑変成池)
・巨海に漂流して龍魚諸鬼に襲われても、波に呑み込まれない(波浪不能没)
・高い山の峰から突き落とされても、太陽の様に虚空にとどまる(如日虚空住)
・悪人に襲われ危険な地より転がり落ちても、毛一筋も傷を負わない(不能損一毛)
・王などの権力者の弾圧を受けても、斬りつけた刀は段々に折れて使えなくなる(或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊とうじんだんだんね)
・囚われて手足に枷をつけられ、鎖で縛られても、束縛は消えて解放される(釈然得解脱)
・呪いや毒薬で危害が加えられても、その害は危害者本人に降りかかる(呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音 還著於本人)
・羅刹、毒龍や鬼(三毒の煩悩)に遭遇し、猛獣に囲まれ、蛇虫が毒を吐いても、皆退散し害することはない。(時悉不敢害)
・雷鳴や大雨も消散する(応時得消散)
・様々な苦しみ、地獄界、餓鬼界、畜生界や、生老病死の苦しみも、ことごとく消滅する(種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅)
観世音菩薩は、一切の願行功徳を具足し、大慈の眼で衆生を見守り、高大な幸福の集まることは大海の際限がないようなものである。故に、礼拝しなければならない(具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼)
千手観音
千手、千眼を備えた観音。一才の衆生済度を誓願する(千手の誓い)。「枯れたる草木も忽ちに花咲き実生ると説いたまふ」(今様集「梁塵秘抄」)。宝弓・宝箭を持ち、速やかな仏知の威力を示す。清水寺の本尊。
救世観音(ぐせかんのん)
四天王寺の本尊。聖徳太子が物部氏との戦いに勝てば四天王(仏法僧を守護している四神。東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天。)を安置する寺を建てると誓願すると味方の矢が物部守屋に命中し榎木から落ちたことから、後に聖徳太子により建立された。
六道転生
この世に生きる者は六つの世界を転生する
三善道
・天道(楽しみの中に苦しみもある)
・人間道(四苦八苦があるが楽しみもある)
・修羅道(争い続ける、怒りや自惚れ、猜疑心のある人が転生する)
三悪道(三悪種)
・地獄道(永く苦しむ、罪を犯した人が転生する)
・餓鬼道(飢えに苦しむ、貪欲な人が転生する)
・畜生道(弱肉強食、嫉妬の強い人が転生する)
七難八苦、四苦八苦
火難・水難・羅刹難・王難・鬼難・枷鎖難・怨賊難(諸説あり)。生・老・病・死の四苦、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を加えて八苦
能「田村」
旅の僧が春の清水寺(京都府)を訪れ、花盛の寺主権現の桜の下を清め「大慈大悲の春の花 十悪の里に芳ばしく、三十三身の秋の月 五濁の水に影清し」と謡う花守の童子に出会う。童子は坂上田村麿に建立された清水寺の由来を語り、本尊の千手観音を讃える。やがて音羽山に月が昇り清水寺の桜を「春宵一刻値千金 花に清香 月に陰」と二人は楽しみ、童子は舞い終えると、坂上田村麿を祀る田村堂の中へ消える。その夜、僧が読経していると田村麿の神霊が現れ、鈴鹿山の鬼神征伐に向かう際に清水寺に参詣したところ、千手観音が光を放って虚空に飛行し、千の手から放たれた千の矢が雨あられと敵に降りそそいで退治したと語る。「屋島」「箙」共に勝ち戦の武将を主人公とする「勝修羅」、「祝言の修羅」と称される。
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_028.html
尚、千手観音は片手に弓、片手に矢を持っている筈なので「観音の千の矢先に五百うそ」という江戸時代の川柳がある。
能「盛久」
源平合戦後囚われた平盛久は、京から鎌倉へ護送される際に長年参拝した清水寺に参拝し、鎌倉では処刑の前日も毎日の観音経の読誦を怠らなかった。明朝、処刑執行人が太刀を振り上げると、盛久の経文が光を発して目が見えず、落とした太刀はバラバラに折れ、正に「臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊」の経文の通りとなった。源頼朝に召された盛久は、処刑の日の朝方に、袈裟掛けで水晶の数珠を持ち杖をついた八十歳を超える老僧が清水から来て「我、汝が命に代わるべし」と言った夢を見た話すと、頼朝も同じ夢を見ていたので、頼朝は盛久の命を助け、酒宴を催し盛久に舞を所望する。
http://www.tessen.org/dictionary/explain/morihisa
「平家後抄」
壇ノ浦の後、平盛久は清水寺に帰依し、等身大の千手観音像を造立して金堂に安置して貰い、年来の宿願として千日参りを始めた。
盛久は密告により鎌倉に護送されたが、奇譚により刑を免れる。京都に帰った盛久は、清水寺の良観阿闍梨に報告すると、阿闍梨は、去る六月二十八日の午の刻、盛久が安置した千手観音像が俄かに倒れて手が折れたので寺では大変不思議に思っていたと語る。
能「弱法師」(よろぼし/よろぼうし)
河内の高安通俊は、他人の讒言を信じて実子の俊徳丸(しゅんとくまる)を家から追い出したことを後悔し、春の四天王寺で七日間の施行(施しにより善根を積む行)を営む。その最終日、弱法師と呼ばれる盲目の若い乞食が現れ、袖に散りかかった梅花の香を愛でたので、通俊は花も施行の一つと言う。通俊は弱法師が俊徳丸だと気づくが、人目を憚り夜に打ち明けようと考え、弱法師に日想観(じっそうかん:沈む夕日を心に留め極楽浄土を想う瞑想法)を勧める。弱法師は難波の絶景を思い浮かべて「満目青山は心にあり。おう見るぞとよ見るぞとよ。」と喜ぶが、往来の人にぶつかりよろよろと歩くのを「これが真の弱法師だ」と人が笑うのを恥じ、「今は狂い候わじ、今よりは更に狂わじ」と悲しむ。夜更けに通俊は、弱法師に父であると明かし、恥ずかしさのあまり逃げる弱法師に追いつき、手を取って高安の里に帰る。
「俊徳丸伝説」(高安長者伝説)
河内国の信吉長者は長年子供がいなかったが、清水観音に願をかけると容姿と頭も良い子供が生まれた。その子は俊徳丸と名付けられ、四天王寺の稚児舞楽を演じると、この舞楽を見た隣村の蔭山長者の娘・乙姫と恋に落ち、将来を誓い合う。しかし継母は自分の子を世継ぎにしたいため、俊徳丸を失明させ、癩病に侵し、家から追い出した。俊徳丸は四天王寺で物乞いしながら生きていたが、この話を聞いた乙姫が四天王寺に出かけ再会する。二人が涙ながらに観音菩薩に祈願すると俊徳丸の病気は治り、二人は夫婦となって蔭山長者の家を相続し幸福な人生を送った。一方、信吉長者は、信吉の死後家運が衰退し、継母は物乞いとなり最後には蔭山長者の施しを受けた、という。