江口の君 妙 「江口」

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江口の君
「江口」

江口は淀川下流の宿駅で平安時代からの遊里。
江口の遊女は後鳥羽上皇が水無瀬宮で催した遊興に頻繁に招かれていた。
平資盛の息女「妙」は平家没落の後、乳母の郷里に移り遊女となり、「江口の君」と呼ばれた。「宝林山普賢院寂光寺」は江口の君が開いたという寺。
美男子であったといわれる西行法師が、天王寺に向かう途中、にわか雨に会い、雨宿りを江口の君に請うたが断られ、西行法師は歌を詠んで届けた。それに対し江口の君も当意即妙に詠み返し、感心した西行法師と歌を楽しみながら一夜を明かしたという。(「山家集」「撰集抄」の「江口遊女歌之事」)

「世の中をいとふまでこそかたからめ 仮の宿りを惜しむ君かな (この世を厭うて出家するのはむつかしことかもしれぬが、かりそめの宿を貸すことすら貴女は惜しむのですか)」(西行法師)
「世をいとふ人とし聞けば仮りの宿に 心とむなと思ふばかりぞ(宿を惜しんだのではなく、出家をした方であるので、このような現世の宿に心をお留めにならないようにとお断りしたのです)」(遊女妙)

別に、書写山円教寺(兵庫県)の性空上人は、日頃から生身(しょうじん)の普賢菩薩を拝みたいと念じていたところ、一七日(いちしちにち)の精進の末、室津の遊女の長者は普賢菩薩であるという夢告を得たので、すぐに室の津を訪ね、遊女の長者を見て目を閉じると、普賢菩薩に見え、目を開くとまたもとの遊女にもどっていたという霊験譚(れいげんたん)がある(「撰集抄」の「性空上人発心並遊女拝事」」)。
普賢菩薩は、女人の成仏をかなえてくれる菩薩。

謡曲『江口』は、性空上人の逸話を西行におきかえて組み立てたと考えられている。
即ち、諸国一見の僧が天王寺へ参る途中、江口の君の旧跡を訪ね、昔、西行法師が詠んだ歌を口ずさんだところ、一人の女が現れ、「それは断ったのではなく、出家の身をはばかって遠慮したのだ」といい、自分は江口の遊女の幽霊といい残して消える。僧が夜もすがら読経していると、江口の君が遊女たちとと舟に乗って現れ、江口の君は普賢菩薩に、舟は白象となって、西の空へ消えてゆくというもの。


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