源頼光と葛城 「大江山」「羅生門」「土蜘蛛」「葛城」

能では、藤原道長側近であった源頼光と家来の四天王が土蜘蛛や鬼の怪物を討伐する説話が幾つか出てきます。その際に「土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。」などと音上することから、日向から東征した神武天皇が建国した大和朝廷に恭順せず、討伐された先住民族の末裔が、怪物伝説に変わったことを暗に示しているとの説が生まれます。
以下に関連するキーワードと説話・伝説を纏めます。

1.キーワード
源頼光(よりみつ、らいこう)
坂上田村麻呂・藤原利仁・藤原保昌と並称される中世の伝説的武人の1人(「保元物語」「梅松論」「平家物語」)。
藤原道長の側近で、以下の四天王を家臣に持つ。
渡辺綱(わたなべつな)
 淀川河口の渡辺を本拠として水運にかかわった渡辺党の祖とされる。渡辺という土地は、平安京から淀川流域において祓われたすべてのケガレが難波の海に流れこむのを見届ける重要拠点であり、境界に関係する人物
坂田金時(さかたきんとき)
 あの有名な金太郎です
碓井貞光(うすいさだみつ)
 大蛇退治の伝説などが残っている
卜部季武(うらべすえたけ)
 美濃国のある渡しで妖怪の産女(うぶめ)と渡りあったと『今昔物語集』に伝えられる人物

土蜘蛛(つちぐも)
古来から上古にかけ、天皇に恭順しなかった土豪。
日本各地に記録され、葛城の土蜘蛛、肥前国、豊後国、日本書紀などにも記述がある。
時代を経るうちに土蜘蛛は妖怪土蜘蛛の伝説に変化する。
別名「八握脛・八束脛(やつかはぎ)」「大蜘蛛(おおぐも)」。

修験道
日本古来の山岳信仰をベースに、仏教や神祇信仰、陰陽道が習合して形成された宗教。 飛鳥時代の役小角(えんのおぬづ)(役行者(えんのぎょうじゃ)ともいう)が開祖とされる。修験道の山岳修行によって霊力を身につける人を山伏といい、法螺貝や手錫杖を使う。主な神に蔵王権現、愛宕権現、若一王子、九十九王子、各山の天狗がある。

八大天狗
修験道の修行場があったとされる。
愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、鞍馬山僧正坊、飯綱三郎、大峰山前鬼坊、大山伯耆坊、白峰相模坊、英彦山豊前坊

2.説話・伝説

「丹後
風土記残缺(ざんけつ)」
第10代崇神天皇の時(3世紀)、青葉山(舞鶴市・福井県高浜町)に陸耳御笠(くがみみのみかさ)・匹女(ひきめ)を首領とする土蜘蛛が住み、人民を苦しめたので、祟神天皇の異母弟である日子坐王(ひこいますのみこ)が勅命を受けて征討する。日子坐王は陸耳御笠らを追って蟻道郷(福知山市大江町有路)で匹女を討つが、辺り一面が血に染まったので血原と呼ぶようになった。日子坐王は敗走する陸耳御笠を由良港で見失うが、石占いで大江山へ逃げたと知りこれを討った。

麻呂子親王伝説
用明天皇の時、大江山に英胡・軽足・土熊(つちぐま)という三鬼を首領とする悪鬼が集まり庶民を苦しめていた。用命天皇の皇子で聖徳太子の異母弟でもある麻呂子親王が勅命を受け、三鬼を征伐する。

鬼嶽(おにたけ)稲荷神社
四道将軍として丹波に派遣された丹波道主命が、父である日子坐王の旧跡に建設した神社。大江山は山岳信仰である修験道の山としても知られ、鬼嶽稲荷神社下手の洞窟は行者たちが厳しい修行をしたところと伝えられる。
https://www.kyotonikanpai.com/spot/08_01_fukuchiyama/kigoku_inari_jinja.php

能「大江山」
酒呑童子は丹波国大江山に城を構え平安京を脅かした鬼王(「大江山絵詞」(逸翁美術館)、「御伽草子」)。
源頼光と藤原保昌が酒呑童子を退治するため、山伏に変装して丹波国大江山に入る。騙された酒呑童子は比叡山を追われた境遇を語り、酒宴を開いて一行をもてなす。その夜一行が童子の寝室に攻め入り、「土も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の宿りなるらん。」と音上し、鬼の形になった童子と死闘の末討ち果たす。
http://www.tessen.org/dictionary/explain/ooeyama

「童子切」(東京国立博物館、国宝)
「鬼切丸」(兵庫県川多田神社、安綱銘)

「御伽草子」の酒呑童子
戸隠山の申し子で国上寺(新潟県燕市)の稚児となった絶世の美少年は、もらった恋文を全て読まずに焼き捨てていたところ、女性の恋心が怨念の煙となって取り巻き、鬼に変身した。酒呑童子の配下は茨木童子、四天王として星熊童子、熊童子、虎熊童子、金童子の四人の鬼がいる。

「酒顛童子」(高橋昌明 1952年)
シュタイン・ドッチというドイツ人が、丹後の海辺に漂着し、大江山でぶどう酒を飲んでいたのが血を飲んでいたように見えた、としている。

能「羅生門」
大江山で酒呑童子を退治した後、源頼光と藤原保昌が頼光四天王を集めて酒宴を開く。渡辺綱は保昌から羅生門に鬼が出るという噂を聞き、真相を確かめるため羅生門に赴き証拠の金札を置こうとすると、背後から鬼神に襲われる。綱は「汝、知らずや、王地を犯す、その天罰は免るまじ。」と音上して鬼の腕を斬りおとし、鬼は「時節を待ちてまた(切られた腕を)取るべし。」と言い残して空へ消える。

「前太平記」第20巻「羅生門の妖鬼退治(異説)」
(藤元元 江戸時代天和元年)

「大江山の首領は酒顛が腹心の眷属、茨木と云ふ者なり。能く幻術行ひ、神通変化の妖鬼なり。大江城落城の後、帝畿東寺の羅生門に住みて、往来を妨げ人民を害す。恐怖せずと云ふ者なし。」渡辺綱が羅生門で酒呑童子の配下の茨城童子の片腕を斬り落すが、物忌みの最中に伯母に化けた茨木童子を館の中に入れてしまい、斬った片腕を奪い返される。

能「土蜘蛛」
病気で臥せる源頼光の下へ、胡蝶が薬を携えて参上するが病は益々重くなる。胡蝶が去り夜も更けた頃、病室に法師が現れ病状を尋ねるが、よく見ると蜘蛛の化け物で頼光は枕元にあった名刀「膝丸」で斬りつけた。化け物は「汝、知らずや、我昔、葛城山に年を経し土蜘蛛の精魂なり」と名乗って去る。頼光の侍臣独武者が土蜘蛛の血をたどっていくと、古塚があり、その中から土蜘蛛(つちぐも)が現れて千筋の糸を投げて襲うが、大勢で取り囲み、「土も木も我が大君の国なれば、何処か鬼の宿りなる。」「汝、王地に住みながら君を悩ます、その天罰の剣にあたって悩むのみかは」と音上して土蜘蛛を討伐する。

「膝丸」(大覚寺、箱根神社、個人所有の3口)
https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_002.html

「土蜘蛛草紙」
源頼光が渡辺綱を連れて京都の洛外北山の蓮台野に赴くと、空を飛ぶ髑髏に遭遇した。それを追うと、古びた屋敷があり、様々な異形の妖怪たちが現れ苦しめる。夜明には美女が現れて目くらましを仕掛けてきたが、頼光が刀で斬ると、女の姿は消え白い血痕が残っていた。それを辿って山奥の洞窟に至ると巨大なクモがおり、戦いの末に頼光がクモの首を刎ねると、その腹からは1990個もの死人の首が出、さらに脇腹からは無数の子グモが飛び出しそこを探るとさらに約20個の小さな髑髏があった。

能「土蜘蛛」にて土蜘蛛と葛城山の関係が言及されましたので、以下に葛城に関する伝説を纏めます。

「日本書紀」
神武天皇は大和国で恭順しなかった波哆丘岬の新城戸畔(にいきとべ)和珥坂下の居勢祝(こせはふり)臍見長柄丘岬の猪祝(いはふり)という三箇所の土蜘蛛をそれぞれ討ち取らせた。また高尾張邑にいた土蜘蛛を葛(かずら)をあんで作った網を使って討っており、そのことに因んで地名を葛城(かつらぎ)と改めた。高尾張邑にいた土蜘蛛は侏儒のように、身丈は短く手足は長かったと描写。

能「葛城」
羽黒山(出羽)の山伏の一行が葛城山で吹雪に遭い、通りがかりの女の宿を借りる。女は「自分は葛城の神だが、役(えん)の行者の依頼で修行者のための岩橋を架けようとしたが架けられず、役の行者の法力により蔦葛で縛られ、苦しんでいる。」と明かして消え去る。山伏たちが、神を慰めるべく祈っていると、葛城の女神が現れ大和舞を舞い、最後は夜明けの光で醜い顔があらわになる前にと、岩戸のなかへ入っていく。

葛城一言主神社
土蜘蛛の遺骸を埋めた「土蜘蛛塚」がある。
一言主神は葛城の土地神。願い事を一言だけ聞いてくれる神で、地元では「一言(いちごん)さん」と親しまれている。昔、この付近で、毎夜一匹の大きなクモが出て荒らしまわり、人々を困らせていた。そこへ一言主神が通りかかり、「私が捕まえてやろう」といい、首尾よく退治した。村人はその死骸(しがい)を田の中に埋めたという。この時、クモの大きな牙(きば)が取り置かれ、今も神社の宝物(ほうもつ)となっている。 
一言主神は顔が醜く、役行者が葛城山と金峯山の間に橋を架けようとした時に、それを手伝った一言主神は容貌を恥じて夜だけ働き、夜明け前に姿を隠したという。 
一言主本殿の境内、参道には三つの「土蜘蛛塚」がある。
松尾芭蕉「猶みたし花に明行神の顔」

参考ブログ(私は未だ研究中です)
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index226.htm

高天彦神社
主祭神は葛城氏の祖神の高皇産霊尊(たかみむすび)。延喜式内社の名神大社(最高位)に列せられる。
近隣に土蜘蛛の住居の跡とされる「蜘蛛窟」がある。

長髄彦
神武東征の時に抵抗した畿内の豪族の長。先に降臨した饒速日命に妹を嫁がせていたが、最後は、饒速日命によって殺害される。