源氏物語

能には「源氏物語」を題材とする曲が多くあります。源氏物語そのものを読破したことがないのですが、頑張って整理を試みます。

源氏物語
1桐壺、2帚木、3空蝉、4夕顔、5若紫、6末摘花、
7紅葉賀、8花宴、9葵、10賢木、11花散里、12須磨、
13明石、14澪標、15蓬生、16関屋、17絵合、18松風、
19 薄雲、20朝顔、21少女、22玉鬘、23初音、24胡蝶、
25蛍、26常夏、27篝火、28野分、29行幸、30藤袴、
31真木柱、32梅枝、33藤裏葉、34若菜、35柏木、
36横笛、37鈴虫、38 夕霧、39御法、40幻、41雲隠、
42匂宮、43紅梅、44竹河、45橋姫、46椎本、47総角、
48早蕨、49宿木、50東屋、51浮舟、52蜻蛉、53手習、
54夢浮橋

4夕顔
源氏17歳夏から10月。乳母見舞いの折、隣の垣根に咲くユウガオの花を源氏が取りにやらせたところ、邸の住人が和歌で返答する。教養に興味を持った源氏は、互いに素性を明かさず彼女のもとに通い、源氏はのめり込んだ。
寂れた某院(なにがしのいん、源融の旧邸六条河原院がモデルとされる)で夕顔と逢引きした際、深夜に女性の霊(六条御息所といわれるが不明)が現れて恨みを語り、夕顔はそのまま人事不省に陥り、明け方に息を引き取った。
夕顔の葬儀後、源氏は夕顔の侍女の右近から夕顔は頭中将の側室だった事を打ち明けられる。源氏は頭中将が「愛した女性が正妻の脅しを受け姿を消した」と言っていたことを思い出す。更に夕顔と頭中将の間に娘(後の玉鬘)がいる事を知った源氏は、右近に引き取りたいと頼むが、惟光に制止される。それでも源氏は隠れて夕顔の家を訪ねるが既に家は無人で娘には会えなかった。

22玉鬘
源氏35歳の3月から12月。
夕顔の娘の玉鬘は夕顔の死後、4歳で乳母に連れられ筑紫へ下国し、美しい20歳になっていた。求婚者が多く、乳母は病気で結婚できないと断り続けたが、肥後の豪族大夫監の強引な求婚に、次男・三男までもが大夫監に味方したため、長男の豊後介と相談し京に逃げた。京で当てもなく、長谷寺の御利益を頼み参詣の旅に出たところ偶然、夕顔の侍女で今は源氏に仕える右近に再会。源氏は「恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ」と詠み、玉鬘を自分の娘とふれこみ自邸の六条院に迎え、花散里を後見に夏の町の西の対に住まわせた。
「玉鬘」とは毛髪の美称辞で、平安時代には長い髪は女性の美そのものであった。毛髪は自分の意に反して伸び続ける事から、文学では古来「どうにもならない事」「運命」を象徴する。数奇な運命と自らの美しさが引き起こす騒動に翻弄され続けた女性である。




「半蔀(はじとみ)」:5夕顔
 夕顔の上が源氏の君と出逢い、契りを結んだ恋の思い出

「夕顔」:5夕顔
 儚く亡くなった夕顔の上の悲しい運命

「葵上(あおいのうえ)」:9葵 
光源氏に捨てられた六条の御息所が、怨念から生霊となって葵上に取り憑き命を奪うが、やがて僧侶の祈りで成仏する。

「野宮(ののみや)」: 10賢木
 光源氏に捨てられた六条御息所の心情を描く

「須磨源氏」:12須磨、13明石
 光源氏の経歴を物語る

「住吉詣」:14澪標
 光源氏と明石の上の悲しい別れを描いている

「玉鬘(たまかずら」:12玉鬘
 旅僧(ワキ)が長谷寺(初瀬寺)に詣でると、小舟に乗って果てもなく悲しげに初瀬川を上ってくる一人の女(前シテ)に出会う。二人は夕暮れの長谷寺を参詣し、女は僧を玉鬘が右近と遭遇した「二本(ふたもと)の杉」へと案内する。女は自らが玉鬘であると仄めかし、幼い時に母を亡くし、筑紫から逃げて上京した頼りない身の上を嘆き悩んでいるので弔って欲しいと語って消える。
その夜、僧が弔っていると乱れ髪の玉鬘の霊(後シテ)が現れ、白髪が混じっても払えない黒髪の恋の妄執の雲霧につつまれ、激しい山颪に身が砕け散る苦しみを嘆き、懺悔する。(「玉鬘」は黒髪の美称で、女性の美しさの象徴である)湧き返る岩水の玉、焦がれる蛍の光の魂も、やがて真如の珠となり、玉鬘は成仏する。

「落葉」:34若葉
 夫亡き後、夕霧に対する思慕の情をしみじみ描いた

「浮舟」:51浮舟
 匂宮と薫に愛され、恋に苦しみ物の怪に憑かれて投身する

「源氏供養」:「源氏物語表白」
 巻名を織り込んだ名文
                  
「碁」:3空蝉
 空蝉と軒端の萩が碁を打っている光景が見所のひとつ

「夢浮橋」:最終章 瀬戸内寂聴作 
浮舟を助けた修行僧の苦しみが描かれている