あの夏の記憶が、僕につなげーとを作らせた

あの夏の記憶が、僕につなげーとを作らせた

  • 鈴木イチロウ(つなげーと代表)
  • 鈴木イチロウ(つなげーと代表)
  • 2021.09.01
  • コラム

忘れられない一生モノの思い出がある。

中学、高校時代、僕は吹奏楽部に所属し、日夜厳しい練習に打ち込んでいた。吹奏楽部は文化部の域を超えている、とよく言われる。運動部顔負けの練習量と体力を使う厳しい部活である。

特に夏はコンクールの季節。野球少年たちが甲子園を目指すように、僕らはコンクール全国大会を目指して練習に熱を入れていた。

夏休みのコンクール前は追い込みの時期で、恒例の夏合宿が行われる。僕らの高校は、冬はスキー場として有名な蔵王高原のロッジに楽器を持ち込んで練習する。ロープウェーでの移動だ。ティンパニやバスドラムなど、大型の楽器もロープウェーに積み込んで、何往復もかけて搬送する。楽器運搬だけで半日がかりだ。

動いていないリフトが連なる真夏のゲレンデを眺めながら、楽器の音出しをするのは気持ちいい。ロッジの大食堂を使っての合奏は、体力の限界まで続いた。

夕食を食べ終わった頃に、ぞろぞろとOBの先輩たちが顔を見せてくれる。懐かしくて女子たちはキャーキャー歓声を上げている。

「みんな、見に来いよ」と声を掛けられ外に出ると、真夏のゲレンデはほとんど暗くなっていて、ちょっと離れたところに得体の知れない荷物のようなものが積み上げられている。OBが作る恒例の花火の山だ。ホームセンターなどに売っている花火をほとんど買い占めてきたのだろう。

OBの先輩の一人が身を挺して着火に向かう。火がつくと、打ち上げ花火が至る方向にボンボン破裂した。真横に飛んでくる打ち上げ花火もあり、危険きわまりない。

みんなでキャーキャー言いながら逃げ回り、ほんの数分だと思うが連鎖的な爆発が続いたのち、花火の山は炎に包まれ焚き火になった。

花火〝騒動〟が収まった後、草原にみんなで寝っ転がって星空を眺めた。天の川がこんなにはっきり見えたのは、後にも先にもあの夏だけだ。流れ星を見つけてはみんなではしゃいだ。

コンクールには終わりがある。

地区大会で金賞を取れば県大会に出場できる。県大会で金賞を取れば支部大会に。その次は全国大会となる。

「目指せ!全国大会」と言ってがんばってはいるものの、全国大会といえば野球でいう甲子園。そう簡単にはいかない。そもそも僕らの高校は創立以来、全国の2つ手前までしか行ったことがない。

僕らの夏も途中で終わった。

審査発表で敗退が決まった瞬間、わんわん泣いた。あの日以来、あんなに泣いたことはない。

コンクールが終わると、高3生は部活を引退する。そしてぽっかり心に穴が開いたまま受験勉強をし進学していく。

僕の人生で、あの夏ほど魂を燃やした記憶はなく、大学に入っても社会人になっても、ぽっかり開いた心の穴は塞がっていない。

その穴をどうにか塞ぎたくて、つなげーとを創業したのかもしれない。中学や高校の頃の、純粋な気持ちで、仲間と一緒に活動できる場につなげーとがなればよいと思っている。