友達の定義にこだわりますか? 「あの人は友達じゃないです」の話。

友達の定義にこだわりますか? 「あの人は友達じゃないです」の話。

カフェでひとりで作業していると、いろんな雑談が耳に飛び込んできます。

「そのお友だちとはどういう繋がりで?」
「いえ、彼女は別に友だちというワケではないのですが……」

わかる。たしかについそうやって照れ隠しのように口走ってしまう。

たとえばLINEやFacebookで上司と繋がるとき、端末上の「友だち」というポップな表記に違和感を覚えて苦笑いした経験があるのは、きっと僕だけではないはずです。

あの人は上司、この人は同僚、こっちの人は高校時代の同級生で、あの人は………まあ……知り合いって程度かな……プライベートで1回ご飯行っただけだし。こうやってよく友達とそれ以外とを線引きしてしまう人は多いと思います。

「焼肉を1枚ずつ焼きたい」と言われて友達になった。

自分の話で恐縮ですが、ライター ・編集者の僕はこれまで友人といえばライターだったりミュージシャンだったり、「そういう」人ばかりでした。しかし年齢を重ねていくにつれて、それ以外の職種の人とも交わるようになりました。

「焼肉を1枚ずつ焼きたい」と言われて友達になった。

たとえばマーケターのT君。最初は距離がありました。深い深い溝を隔てた長い長い距離です。というのも「マーケターなんて人間は何を付けても数字の話ばかりでライターなんぞを志す僕とは正反対なのだ」という偏見を偏見で煮詰めたようなイメージばかりが先行してしまっていたのです。だから出会った当初、僕と彼はまったく別の世界の住人だと思っていました。

あくまでもこの人とは仕事の話をするだけ、と思い込んでいたわけです。

けれども、ふとした拍子で意外に意気投合してしまったりする。

きっかけに関する記憶はもう朧げになってしまいましたが「焼肉は1枚ずつ焼きたい。網いっぱいに広げて焼く人は信頼できない」というのが最初の共通点だった気がします。たしか。

こういう “しょうもない話” しかしていないから本当に覚えていないけれども。

「気軽に食事に行く」「なんでもない会話をする」という気軽な関係こそ友達

意外な人と意外なところで意外な接点が見つかる時があります。

それは「焼肉を1枚ずつ焼きたい」という極小規模の議題がきっかけだったりする。

「なんでもない会話をする」という気軽な関係

大切な相談をしたり、重要な議論をしたり。重々しい言葉を交わして時間を過ごせる相手だけが「友達」である。そうやって考える人は少なくありません。

そんな大切な話ができる関係だけが「友達」というイメージもありますが、実際は「気軽に食事に行く」「焼肉の焼き方で意気投合する」というライトな関係も大切な友達関係といえるのではないでしょうか。

「友達の定義」や「本当の友達」にこだわってしまう謎現象

筆者もつい「友達ってわけじゃないんだけど」とよくわからない言い訳をしてしまいますが、本当の「友達の定義」ってなんなんでしょうか。

<焼肉1枚づつ理論> がきっかけで心が結ばれた筆者とマーケターのT君は、これは間違いなく友達だ。

そう考えると「友達」というのは何でも話せる間柄だけではないようです。気を張らずに一緒の時間を過ごせる人も友だちと呼んで良いはずです。

「友達ってわけじゃないけど」なんてよくわからない言い訳はやめてしまって、肩ひじ張らないカジュアルなマインドで構えてみれば、「焼肉は1枚ずつ焼かないと肉に失礼だろ?」というような有益性の1mmもないライトな会話で一緒に過ごせるような友達が今よりもっと増えるのではないでしょうか。

つい否定してしまいがちな、ライトな友達が人生の幸福度に影響しているのでは

たまに飲みに行くだけ、みたく “深い仲ではないが楽しい時間を一緒に過ごせる人” を「友達」と呼ぶかどうかは人それぞれかもしれません。しかしながら、楽しい時間を一緒に過ごせるような関係であるとポジティブに捉えた方が人生は豊かになりそうな気がします。

私たち「つなげーと」がサービスのコアバリューとして重要視しているのは、呼び方はともかく、そのような人生を豊かにする「気軽な友達」です。

実際に提供するサービスは趣味やスポーツのサークルや街歩きやお茶会といったものですが、その場を通じて気軽だけれど楽しい時間を一緒に過ごせるような「人と人の繋がり」を作れているんじゃないかと思っています。

気楽で楽しい時間っぽい画像

この人は友達か、そうでないかをこだわるよりも、その関係を気にせず気楽な時間を過ごす方が楽しい。友達の定義にこだわることは、大袈裟に言ってしまえば人生の楽しい時間を減らすような損を生み出すこといなりかねません。

「つなげーと」としても、私たちのサービスを通してユーザーさんたちの「気楽に過ごせる、楽しい時間」をちょっとでも増やすお手伝いができていたら嬉しいなと、そんな風に思うのです。